穏やかな日差し映える午後のモーリン宅。
 そこで、いきなり戦いの火蓋が切って落とされた。
 激しい金属のぶつかり合う音に、またか、と部屋で読書をしていたネスティは思った。
「あきないものだな、彼らも」
「テメエ、もう一度言ってみな」
「ああ、何度でも言うさ。あの人は私の護るべき人だ」
「本人の了解を得ずに何を言ってるんだか……」
 顔にも声にもあきれの混じるネスティだったが、さすがの彼も次の叫びには眉をひそめた。
「トリスは俺のモノだ!」
「君などに私のトリスは渡さない!」

FINAL DISTANCE

 甲高い音を立てて、シオンからトリスに渡されようとしていたどんぶりが割れ、熱い汁がトリスの胸を濡らした。
「きゃ?!」
「大丈夫ですか? トリス」
「すみません。どうやら器の底がひび割れていたようですね」
 そう言ってトリスの服をぬぐうシオン。
「あ、大丈夫だから。シオンさん」
 そう言ってトリスはシオンの手を辞退した。
(今、舌打ちが聞こえたのは気のせいですよね? シオンさん)
 たぬきソバを食べながら苦悩するロッカ。
 と、隣から袖をぎゅっとつかまれて、見ればハサハが青くなっている。
「大将さん……こわいの……」
(気のせいじゃなかったのか?!)
 常識の通じると思っていた人の思わぬ一面にロッカはちょっと泣きたくなった。
 それにお構いなくゆったり笑顔で作り直したソバをトリスに渡すシオン。
 その腹の内をが笑顔とは程遠いものと理解しているのは、ハサハのみだろう。
(私のいない所で何をしているのやら……)
 トリス達に背を向け、耳に手をやり、す、と目を酷薄に細める大将。
 彼の耳に届くのは、何処から手に入れたのやら盗聴器からj聞こえるリューグとシャムロックの声。
(全く……私がいなければ貴方はとっくにあの二人の餌食ですよ。分かっていますか? 私の主君よ)
 振り向き、何も知らずにソバを啜るトリスを、自分の将来の主君(彼予定)をいとおしげに見た。
 ちなみに彼の心の中にある『主』の文字は限りなく『細』に似ている。
(まあ、あの二人が共倒れしてくだされば、私と主君にも幸いなのですが……と?)
 彼の忍びとして鍛えられた耳は、剣戟の間に一つの足音を聞き取った。
(これはこれは……さらに共倒れしてくださると幸いな方が……)
「大将さん、おかわりください」
「はい、ただいま」
 アメルの声に、シオンは今度こそ本物の笑顔で応じた。
「二人ともそういうことは外でやってくれ!」
 リューグとシャムロックの修羅場に入るなり、ネスティはそう叫んだ。
 滅多に聞かない彼の大声に、二人は思わず手を止めた。
 あっけに取られた様子の二人に、ネスティは不機嫌に言い放つ。
「騒音公害だ。それと、貴方方がトリスをどう思おうと勝手だが」
 二人の目が剣呑な光を帯びる。が、彼は言い切った。
「そういう争いをするなら、まず彼女に断りを入れるべきだと僕は思うが?」
「「!!」」
 痛いところを突かれて動揺する二人を残し、ネスティはそこを後にした。
 部屋に戻ろうと思ったが、大声を出したせいで気分がささくれだち、読書どころではなかった。
 外に出る。
 無駄に出歩く事は彼の好むところではなかったが、最近はこうして一人で外を出歩く事が多くなった。
 あの二人の妹弟子をめぐる争いには巻き込まれないし、妹弟子に構われることもない。
 この前のレイムと名乗った男との戦い以来、ファナンのあちこちに不安そうな空気が、顔がある。
 モーリンとユエルはそれを払拭するべく、毎日頑張っている。
 そのお陰か、下町の賑わいはあんな事があった後なのに変わっていなかった。
 心地よいざわめきの中、ネスティは嘆息する。
「好かれ過ぎるのも考え物だな……」
 二人(今回はいなかったが、本当はシオンも入れて三人)のトリスをめぐる争いは、今に始まった事ではないが、最近とみにひどくなっている。
 原因はよく分かっている。
 機械遺跡にずっと隠されていた調律者と融機人の罪。
 自分の体に流れる血の、呪われた謂れを知り、トリスは一時期かなり精神的に追い詰められていた。
 その理由の一端に、融機人であるという自分の立場が一枚噛んでいた事もネスティは理解している。
 仲間達に励まされて、アメルと相談して最後に彼に謝りに来たトリスを彼は覚えている。
 謂れや罪を嘆くのではなく、受け止めて乗り越えようとしている彼女を見て彼は強くなったと思った。
 もう、自分の世話など必要ないほどに……
(いや、それはいい。問題はその後だ)
 古今東西、男女のいかんに関わらず人というものは、異性の普段見せない表情を見ると、少なからずその人を意識するものである。まして、相談なんかされちゃったりすると、恋に発展しちゃったりしてもなんらおかしくはない。
 もともとトリスに好意を持っていた彼等。トリスの普段にない弱気さを目の当たりにして保護欲が出てきたり、相談されて恋のボルテージが一気に上がっちゃったりなんかして、現在のトリス争奪戦と言う構図が出来上がった。
「しかもタチが悪い事にトリスは自分のしでかした事に気がついていない……」
「トリスがどうしたの?」
「?!」
 いきなり声をかけられ、びくりと振り返れば、そこにルウがいた。
「……君か」
「君か。じゃないわよ。さっきから呼んでるのにキミって全然気がつかないんだもん。で、トリスがどうしたの?」
「いや、なんでもないんだ。それより、何か用か?」
「ごまかしたわね……」
 ちょっとむくれたルウだったが、すぐに笑顔になった。
「ね、一緒にクレープ屋さん行ってくれない?」
「カイナ達と行けばいいだろう」
 しかしルウ、ぱんっと両手を合わせ、
「お願いっ! 皆でかけちゃってるし、リュ―グとシャムロックはアレだし、キミしか一緒にいける人いないの!」
 なんだかよく分からない話に、首をひねるネスティ。
「あのね、今日は一人以上でお店に行くとクレープが半額になるの」
「なるほどな」
 最近ルウはよくカレンダーの前で「あともう少し」とか言っていたが、それが目当てだったらしい。
 甘い物好きなところはまるでギブソン先輩のようだ、と思ってネスティは少し笑った。
「お願い! お礼にトリスのこと、聞いてあげるから!」
「な……?!」
「悩み事あるんでしょ? トリスの事で。顔にそう書いてあるもの」
 そんな事ない。と言いかけたネスティだったが、ふと思い返した。
 ルウ。
 自分と同い年の、好奇心の強い娘。
 恋の話、といえば当然、昔から女の子が内緒で盛り上がる話の一つな訳で。
 そういう事には疎いネスティ。しかし昔に先輩であるミモザは彼にこう教え込んだ。
 ――女の子の話は女の子に聞け、と。
「……分かった。一緒に行こう」

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